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「24時間テレビ」の思い出(畠中 雅子)

24時間テレビは先週末のことなので、このテーマで書くには、少しタイミングが遅れてしまったような気がするが、「24時間テレビの思い出」と称した内容を書くことをお許しいただきたく。

・・・といっても、今年の話題ではない。

実は高校生のとき、24時間テレビの電話受付ボランティアをした。
もう30年も前のことなので、メインパーソナリティが誰だったかなど、詳細についてはまったく記憶にないが、ひとつだけ、今でも思い出すことがある。

電話受付を担当したといっても、私が受けた電話のほとんどはいたずら電話で、「善意のイベントにいたずら電話をかけてくるなんて、信じられない!」と、当時、純真?な高校生だった私は、いたずら電話を切るたびに、怒っていた気がする。

そんな24時間テレビの思い出とは。
隣の席に座っていた女性のことである。
同じくらいの年の(つまり高校生らしき)彼女は、かかってきた電話に1本も出なかった。

受話器は取り上げるのだが、取り上げてすぐ、切ってしまうのだ。
「この人、何のために、ボランティアに来たんだろう?」
彼女が電話を切る度に、私の疑問は膨らむばかり・・・

とはいえ、自分の目の前の電話には出なければならないので、不思議に思いつつも、そのまま24時間テレビはフィナーレへ。
フィナーレの歌が流れる中、ふと、気付くと、隣の席の彼女がいない。

「電話に出る気がないから、帰っちゃたのかなぁ?」などと思いつつ、テレビ放送が映っている画面(モニター)をふと見ると、壇上でその彼女が歌っていた。

「いつ、壇上に上がったのか?」
「一般人が壇上に上がっても、大丈夫なのか?」

などといった疑問は湧くものの、芸能人といっても通用するほどきれいな女性だったので、画面に映っていても、違和感はない。

「彼女は、テレビに映りたくて、電話受付のボランティアに応募したのだろうか?」
その答えを聞く機会はないまま、自分に割り当てられた時間が終了し、私は会場を後にした。

ちなみに。
一緒に電話ボランティアに参加した友達は、その後も、10年くらいボランティアを続けたらしい。
当時から、テレビの世界に興味があったのかは定かではないが(彼女に聞いたことはない)、今でも、テレビ番組の制作会社で働いている。

私にとっての24時間テレビの思い出は、「電話を1本も取らず、フィナーレのとき、壇上で歌っていた彼女」のこと。
「彼女はその後、どんな人生を送ったのかなあ」などと、24時間テレビを視聴するたび、懐かしく思うのであった。

畠中 雅子

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