フリーランスで、今年40年目!
私は18歳、大学1年生の時にフリーライターをはじめ、途中、マネーライターを経てファイナンシャルプランナーになり、今年で40年目を迎えました。
フリーライターと名乗ってから40年!も経ったなんて、なんだか感慨深い気がします。
私がフリーライターをしていた頃、チームを組んで、有名人の方の話を毎月1冊ずつ著書に仕上げていたことがあります。
有名人の方が好きなように話した原稿を、テープおこしの専門業者に文字にしてもらい、それを何人かで手分けして、1冊の本に仕上げる仕事です。
いわゆる、ゴーストライターですね。
毎月1冊ですから、かなりの突貫作業でしたが、有名人の本ですから、それなりに販売実績は良かったようで、断っても、断りきれないくらい仕事が舞い込んできていました。
私たちが一生懸命、良い本にしようと頑張って、仮にそれが売れたとしても、印税が入るのは、著者の方なので、「なんだかなあ」と思いながら、作業していたことを思い出します。
さて、当時、その仕事に関わっていたのは、20代の若いフリーライターがほとんどでしたが、中におひとり、元シナリオライターだという50代の方がいらっしゃいました。
若いときは、テレビドラマの脚本を何本も書いていらしたそうで、ヒット作がいくつもあったと言っていました。
その方から言われて、今でも忘れられないのは、「僕は、シナリオライターのなれの果てだから」という言葉。
その方から「なれの果て」という言葉を聞いたとき、「フリーランスの未来って、どんな感じで働いているんだろう」と、ぼんやりとながら想像してみました。
ですが、当時の私は、50代、60代でバリバリ働いているフリーライターの姿を思い浮かべることができず、年を取ると、仕事がなくなるんだという恐怖心だけが残りました。
その後、結婚してフットワークが悪くなったのを機に、ファイナンシャルプランナーの資格を取って、記事を書くのは変わらないけれど、署名での記事を書けるようになりました。
ライターの時も、15本くらいのレギュラーの仕事を抱えていて、目が回るくらい忙しかったのですが、ファイナンシャルプランナーとして最盛期には28本の連載を抱えることになり、3人の子どもの子育てと合わせて、その頃の記憶がないくらい忙しくしていました。
私がファイナンシャルプランナーになった頃は、原稿を書くファイナンシャルプランナーが本当に少なかったため、もともと原稿書きを本職?にしていた私が重宝がられたのだと思います。
仕事と子育てという忙しさのおかげで、目の前の現実を片付けることに注力するしかなく、将来を考えることは「先送り」にしていました。
おかげさまでというか、ラッキーだったというべきか、58歳になった今でも、そこそこ忙しくさせていただいているのですが、この先は今までのようにはいかないと考えています。
ウェブの記事を含めれば、数え切れないほどのファイナンシャルプランナーが執筆をしている時代ですから、ファイナンシャルプランナーになった当初のような、ラッキー感も望めないでしょう。
同時に60歳、つまり還暦が見えてきた現在、これからの仕事の仕方について、多少の方向転換をしながら、細々とでも続けていける方法を模索していくべきだと考えるようになっています。
たくさんあった連載も、終わりを迎えたり、雑誌が休刊になって自然消滅したりしています。
今でも10本くらいは、レギュラーで書かせていただいていますが、それも段々と終わりを迎えていくでしょう。
フリーライターだったときに聞いた「なれの果て」がどのような形になるのかはわかりませんが、その方と同じくらいの年齢になった今、ときどきその言葉を思い出すようになっています。
自分の仕事の行方を憂うとともに、若いファイナンシャルプランナーで、仕事のやり方に苦慮している方がいれば、応援する意味でも、アドバイスをする機会が作れればとも考えています。
自分には、仕事に関するアドバイスしてくれる先輩がおらず、寂しい思いをしたので、後輩たちに少しでも、自分の経験を伝えられたらとも思う日々でもあります。
なんだか、まとまりのない話になりましたが、フリーランスで働いてきた方で、この先の仕事について悩んでいる方がいらっしゃったら、ぜひ、意見交換などをさせてくださいね。
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